岩間の地域紹介

首洗いの滝

首洗いの滝難台山のふもとの黒丸という所に、山脈の自然石を伝わって流れる長さ約八メートルくらいの滝があります。これを「首洗いの滝」とよんでいます。
今から六百年余りのむかし、難台山城にたてこもった南朝方の大将小田五郎藤綱の軍勢と、一気に攻め落とそうと三千よきの大軍をひきつれて、館岸山の朝日城に対陳する北朝方の上杉朝宗の軍勢が、入り乱れて戦いました。
両軍の勇気ある大将は、この戦いで手柄を立てて、自分の家名を挙げようと大音声に名を名のりながら、相手の大将の首を討ちとろうと競って先陳へと進みました。 続く家臣の勇士たちも負けずに戦場を駆けめぐり、火花を散らしての戦いに両軍とも傷を負ったり、たおれたりする者数多く出て、水を求める人々で山中の池がまっ赤に染まりました。人馬たおれ、その死体をのり越えて戦う戦場の悲惨さ、すさまじさは目をおおうばかりでした。
小田五郎藤綱は常に七人の影武者を使い、その行動は常に神出鬼没で敵方の意表をつく作戦にでましたので上杉勢の肝を冷やすなど善戦しました。けれども上杉方の入れかわり立ちかわりの新手の攻撃に手を焼き、その上に兵糧功めにあって遂に敗れました。元中五年(一三八八)七月十九日城に火を放ち一族と共みに腹を切って討ち死に落城しました。
この滝は、戦場で討ちとった名ある大将や勇将の血と汗と泥に汚れた首を洗ったのでその名がつけられました。
そのころのサムライは、戦で手柄を立てることによって身分の保障がされていました。戦で名のある大将を討ちとりその首を御大将に差し出して首実験を受けてその働きによって領地など配分もきめられたといわれます。
己れの傷の手当てにかかずらうことなく、敵の大将の首をこの滝で洗い浄め、鎧の袖に包んで大事に持ち運んだであろう鬼気迫る光景がしのばれます。
新緑にいろどられる美しい山肌を縫いながら、サラサラと心地よい音をたてて流れるこの滝川は、過去の悲しい歴史の足跡などさぐるすべもないほど、静かで美しい渓谷のたたずまいでした。

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