岩間の地域紹介
隠澤の観音様
関ヶ原の合戦に出陣した土屋忠直候が、陣中で仮寝の夢を結んでおられたある晩のことです。
明日はいよいよ決戦というので、なかなか寝付かれなかった忠直候が、不思議な夢を見ました。夢枕に観音様現れて、半身を谷川の流れに埋もらせたままの姿で、
「われは常州泉村に住む観音なり、このたびの戦いは難儀であろうが、必ず御身の武運を守りますぞ」
と申されると、急に谷間の流れが高くなり、観音様のお姿がかき消えました。
夢から覚めた忠直候は、
「決戦に先立って、観音の加護の加護の夢とは吉兆である。まことに幸先よし」
と、家来のしきをふるいたたせて、出陣しました。
連戦連勝、力一ぱい戦ったので大功を立てて、武運めでたく帰還しました。忠直候観世音の加護にむくいようと泉村にさっそく馬を走らせて、家臣と共に捜し求めました。そして夢知らせのあたりの小高い山中の堂平に鎮座する、観音様を見出しました。そしてその地に御堂を建てて祀り戸屋家の武運長久の守護仏として信仰が続きました。
土屋家が岩間泉村の頒主となり、やがて土浦藩主となると、ここを祇願所と定め、代々の藩主は春秋の二回の彼岸詣でを欠かしませんでした。そして明治初年まで続きました。
またそのころの人達は「観音様は一心にお祈りする人には必ずお救いの手がのびて助けて下さる」という素朴な信仰心を持っていましたので、観音様への信仰は深まり、信者も数多くなりお盛りになりました。
本堂内に安置される五本尊十一面観世音様は、子さずけ観音、子育観音として子宝に恵まれない人の見方となり、また難産除けの守り神として女人の見方となって御利益をさずけました。