岩間の地域紹介

押辺村の剣豪

押辺村の剣豪押辺村に剣道がめっぽう強くて、近隣に名をとどろかした一刀流の免許皆伝を持つ、熊次郎という若者がいました。
若者は農家に生まれながら、武士になりたくて子供の頃から剣道の真似事して遊んでいました。時は幕末で異国の船が開港を求めて日本のまわりを往来し、国内の政治も乱れて人々の心が揺れ動いて不安な時代でした。
若者は、成長するにつれて堂々とした体格の持ち主となりました。本格的に剣道を修めたいと道場通いを始めました。良い先生を求めて、宍戸・笠間・水戸と握り飯を腰にしてわらじばきで明けきらない道を歩いて、どこまでも通いました。雪が降っても、雨が降ってもいとわないで、唯ひたすら稽古に励みましたので腕前もどんどん上達しました。
銅切りの名人といわれ、身のこなしの素早さと、切先の鋭さには定評がありました。殿様の殿前での試合に勝って殿様より御褒美に小刀を一振り賜わった事もありました。
そしてついに若者は、自分の家を改造して道場を開くことになりました。師範は一刀流の免許皆伝の剣士というし、一触即発の世相も反映して、近隣の若者で賑わいました。
そのころ水戸藩では藩士たちが、政治上の考え方の違いで天狗、諸生の二派に分かれて争っていました。道場の主として若者を指導する立場にあった熊次郎は、天狗党に加担して活躍していましたので家に落着くことはめったにありませんでした。天狗狩りといって諸生派の武士が、押辺村にもたびたびあらわれて熊次郎の命をねらいました。
諸生派のせんぎはきびしく、たびたび若者の家を訪れて家の内外を偶々まで調べまわりました。屋根裏にひそんでいると思われて槍で突き刺された傷跡が、今も生家の天井板に残っています。
ある晩帰宅して蚊帳の中で寝ていると複数の不審な人の気配。飛び起きると、とっさの機転で蚊帳の四つ手を切って敵を蚊帳の中にとじ込めました。不意打ちはひきょうなり三十六計逃げるにしかずとばかり屋外に飛び出して一目散に走り去りました。四つ手を切られた敵は追うことも出来ないで蚊帳の中でもがきくやしがりました。
そしてある日、陣笠陣羽織に身を固め、堂々たる武士姿に威儀を整えた熊次郎は、家族と水盃を酌み交わして天狗党の一員として戦場へと出発しました。その後彼の天晴れ武者姿を見ることはありませんでした。

  • 当日
  • イベント

今後の予定