岩間の地域紹介
家を守ったおばあさん
土師村に「てんぐどうの焼打ち」という、みぞうのだいさんじがおこったのは、今から120年ほどまえの、元治元年(1864ねん)きゅうれき7がつ29日のことでした。
ついとうぐんにおいつめられたてんどうぐんのいったいは、はじむらにしんにゅうして火をはなちました。おりからの真夏日に乾ききっていた家々につぎつぎにもえうつり、くるったようにもえあがりました。泣き叫ぶ女、子ども、村人はとるものもとりあえずに西方へ散って逃げさりました。
「 天ぐにみつかればころされっかもしれねえ」と、だれの心にもきょうふが先に立って、自分の家が焼かれ、炎が天をこがすいきおいでもえるのを、みうごきもできずにとおくからじーっとながめていました。
かさいげんばから少しはなれたところの、いっけんの農家の戸口を一人のろうばが何度も出入りして、のき先おけに水をくみいれていました。
「みんなにげちゃったけど、こんなとしよりをまさかてんぐさまはころしはすまい。たとえころされたって、家が焼けちゃったらもうおしまいだ。」
と、気分なこのろうばは一人残ってわがやを火から守ろうと必死でした。
そのとき、ふしょうしたサムライが二人よって来ました。
「ばあさん、水だ、水、水をくれ」
心のなかで『あれ、しまった家を焼かれたらどうしよう』と思ったろうばは、とっさに、ひしゃくに水をくみ入れると
「はい、はい、どうぞたくさん飲んで下さい。みなさんのためにくんでおいた水です。さあさあどうぞたくさん飲んで下さい」
と、おけのみずをぜんぶさしだしました。
一休みしたサムライは、かえりぎわに火もはなたずに、
「ばあさんありがとう」
と、礼を言ってそのまま立ち去りました。
気じょうなろうばのとっさのきてんでこの家は、無事火災をまぬがれることができました。