岩間の地域紹介
土師の清兵堀
土師村は早くから開けて、古い歴史と広い田畑を持ち、質の良い米を作りながら 水利の便には恵まれませんでした。水不足を補うために、隣りの下郷村から、池をかりてため池として、田植どきの農業用水として使ったという記録も残っています。
雨の少ない年の農民のなやみは深刻で、水争いからけんかとなり刃物をふりまわして相手を傷つける事件にまで発展することもたびたびでした。村を挙げて神様にお参りして雨ごいの祈祷をしたり、水神様にお願いをしました。
土師米は良質で味質で味もよかったので特別に領主である宍戸候の御膳米として上納されました。その献上米を作る農民にとって、水は非常に大切です。特に干ばつの年の用水の確保にはなんじゅうしました。
村役たちも農業用水の確保をどうしたらよいかと、たびたび寄合を開きました。その村役の一人であった清兵衛が中心となって、難台山に源を発する桜川の水を利用することを険討して村人の協力を得ることが出来ました。
桜川は豊富な水量を持っているので沿岸上郷村下郷村の田畑潤しても、まだ充分な水量があるので水の心配はありません。大工事ではありますが村民の一致団結の協力を得ているのでバックにこの難工事にとりかかることになりました。早速隣村と仕掛け合い領主へ工事の許可申請書を出す一方ぼう大な工事費の工面に村役たちは走りまわりました。もちろん宍戸候よりも同時に過分の下賜金や用材が寄附されました。
用水堀を掘る工事が始まりました。桜川の水を下郷村新渡戸地内でせき止めて横川を堀、その水を下郷村新渡戸坪の地内からは土師村高野坪の方へ流す掘を造って完村にその水が配れる本格的な用水掘ちを造る工事となりました。江戸時代のこと、工事の困難さは十分察しられました。
清兵衛は、夜となく昼となく工事の現場を見まわり、職人や人夫たちの人間関係に気を配りひたすら工事の成功を祈って働きましたけれども長雨で工事がストップしたり作った堀が秋の大雨の出水で流されたりして゛工事は困難をきわめました。
しかし全村挙げての願いが通じて工事を始めてから数年たって完成の喜びの日を迎えました。堀割りをあふれる水、水、水。干われた水田に次々と吸い込まれてゆく水に村人はおしみのない拍手を送りました。やっと人間の力で給水と配水が自由にコントロール出来る水の確保に成功したのです。この堀を清兵衛と呼び後世に伝えました。