友中資料室
県内有数規模? 山王塚古墳(小原)に行ってみた
小原の山王塚古墳は前方後円墳なら100mに迫る県内有数規模の古墳
国土地理院地図を使用して作成 |
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小原地区南東部に「一本松古墳群」があり、諏訪古墳、一本松古墳、山王塚古墳などから成ります。諏訪古墳は前方後円墳、一本松古墳は円墳、そして山王塚古墳は円墳に見えますが、前方後円墳もしくは帆立貝形古墳であったという説があります。常磐線建設の際、前方部が削られたというのです。かつて線路敷地内に池が残っており、その池が前方部をめぐる周堀の一部であろうと考えられたためです。 |
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左がその想像図。完全にせん断されている。路線検討の際、迷いはなかったのだろうか。 もしもこのような形であった場合は全長が100mに近くなり、県内的に見ても有数の古墳ということになる。 |
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山王塚古墳遠景(線路の逆側から) |
表示(線路側から) |
すぐ目の前を電車が通る |
墳丘上には日枝神社 |
外側からはよく見えないが、内側からは周堀がよく見え、今でも水がたたえられている。 | |
山王塚古墳は、一見こんもりした林の山頂に神社があるだけという感じで、古墳と気が付かない人がいるかもしれません。それに比べるとすぐ北隣りの一本松古墳はたいへんわかりやすく、いかにも古墳であることが遠くからでもわかります。しかし、山王塚古墳の見どころは多く、主に次の3点が挙げられるのではないでしょうか。 1 前方後円墳であった場合、市内最大、県内有数規模であること。つまり、それだけ有力な人物の墳墓であったこと。 2 周堀がしっかりと残っており、しかもちゃんと水がたまっていること。 3 (前方後円墳だとしたら)線路に横切られてしまったというかわいそうな物語があること。 とにかく、山王塚古墳を含む一本松古墳群は、古墳らしい古墳が集まる市内でも有数のスポットです。実際に日枝神社まで登ってみると、とても見晴らしがよく、権力者が埋葬されるのにふさわしい場所であることがわかります。友部町史にも、「この地が旧茨城国衙の地であったという説からも、重要な故人の墳墓であったことが推定される」とあります。ぜひ一度訪れてみたい古墳です。 (参考文献:「友部町史」) |
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