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友中資料室

鉄道で分断された道シリーズ(2)

現在の友部中の南側を通り、北川根と水戸坂下をつないでいた道は土盛りされた線路に阻まれ、「坂場踏切」で歩行者と二輪車のみが通行

分断された道

北川根方面からの道が水戸線の線路にぶつかったところ。かなり高く土盛りしていることがわかる。鉄道開通前は平坦な低地が広がっていた。

水戸坂下明治

明治時代の地形図

水戸坂下現在

現在の国土地理院地形図

 鉄道開通前と現在の地形図を見比べると、水戸線の開通〔1889(明治22)年〕によって北川根方面からの道(明治・現在ともに緑色で表示)が分断されているのがわかります。この道は明治時代はそれなりに太く描かれていますが、その後常磐線〔1896(明治29)年開通〕によっても遮られたので重要度が低下し、沿道住民が利用するのみとなりました。特に水戸線に関しては、車が通れる踏切は宍戸駅わきの石岡街道踏切の次は南友部踏切となり、その間に歩行者・二輪車用の坂場踏切があるのみです。

 それにしても、水戸線を通すためにずいぶん高く土を盛り上げたものです。この盛土は、道路だけでなく水も堰き止めました。もともと、南友部を水源とする谷津田が涸沼川まで連なっている谷地形の場所です。昔、大雨が降ったとき、線路の土盛りがダムのようになって、上流(線路北側)に浸水被害をもたらしたこともあったそうです。

 日本全国、鉄道をできるだけ平らに真っすぐ敷くために、山を切り崩したり、土を盛ったり、橋を渡したり、トンネルを掘ったりと、いろいろな苦労があったと思われます。下の地形図(国土地理院地形図を土地の高さで色分け)を見ると土地の起伏がよくわかります。宍戸−友部間でも低地部分は土盛りしていますが、水戸坂上(友部カトリック協会の裏あたり)は逆に山を削っています。宍戸駅と友部駅は10m以上の以上の高低差があります。

 坂場踏切は見晴らしがよく、笠間方面を望むと正面に加賀田山が見え気持ちがいいです。ぜひ、徒歩か自転車で体験してみてください。

水戸坂下色分け

坂場見切りへの道

 

坂場踏切へと登る坂道(南側)。歩行者と二輪車のみ通行可。北側も同じようになっている。

坂場踏切

坂場踏切(南側から)

坂場踏切からの展望

坂場踏切から笠間方面を望む

地蔵

水戸坂下の野仏と石碑

水戸坂下池

坂下には池が

標識2 標識1
地元の有志が建てた水戸坂下の道標・・・三方向から来た道がぶつかる重要な辻であったことがわかる

 

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