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友中資料室

香取神社(南友部)探訪記

和田合戦に向かう宍戸家政も武運を祈った? 平安時代から続く(?)由緒ある神社

 北平遺跡の北端、涸沼前川に面した台地の北端に香取神社があります。「村社」とありますが、「南友部村」の神社ということでしょうか。鳥居の左側には市指定文化財の「フジ・イヌシデ」があります。このフジの樹齢は300年にもなるそうです。詳細は市教育委員会のホームページを御覧ください。

香取神社鳥居とイヌシデ・フジ

市指定文化財 フジ・イヌシデ

香取神社参道

鳥居から200mも続く参道

香取神社社殿

ひっそりと佇む社殿。銅葺きで手入れの行き届いたとてもりっぱな建物。

香取神社北側から

涸沼前川側から見た香取神社の杜。古墳のようにも見えなくもない。

 社殿に掲げられた「由緒沿革」にはこう書かれています。「今からおよそ1000年の昔、天慶(てんぎょう)二年四月五日下総国(しもうさのくに)香取神宮から経津主命(ふつぬしのかみ)の御分霊(ごぶんれい)を奉斉(ほうさい)、その後、宍戸四郎左衛門(ししどしろうざえもん)当社に立願(りつがん)、御神徳(ごしんとく)を蒙(こうむ)り、社殿を再興し神田(しんでん)等を寄進(きしん)した。明治六年四月一日村社に列格し、同時に村内の倉稲魂命(うかのみたまのおおかみ)、天日鷲宮(あめのひわしのみこと)の二祠を奉祀(ほうし)した。」

 よくわからない言葉についてWikipedia、ウィクショナリー等で調べてみます。

・天慶…平安時代、938〜947年の元号。天慶二年は939年で、平の将門の乱があった年。

・香取神宮…千葉県香取市にある由緒正しい神社。関東を中心に全国にある香取神社の総本社。茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、神栖市の息栖神社とともに東国三社の一つ。式内社(「延喜式」という927年にまとめられた書物の全国の神社一覧に載っている神社、つまり歴史があり由緒正しい神社)、下総国一宮(現在の千葉県北部にあたる地域でいちばん格式の高い神社)。主祭神は経津主命。

・経津主命(ふつぬしのかみ)…香取神宮の祭神。東方の征圧に尽力した武の神。刀剣を神格化させたものとされる。

・分霊(ぶんれい、わけみたま)…ある神社の神霊を分けて、新設した別の神社にも祀(まつ)ること。新設した別の神社に祀るために分けられた神霊。

・奉斉(ほうさい)…神社などをつつしんで祀ること。

・宍戸四郎左衛門…八田知家の四男で宍戸氏の祖となった宍戸家政(1188〜1213)のことか(?) 家政は1213年、和田合戦で北条方について討ち死にしている。

・神田…神社の運営経費にあてる領田(寺社領)。要するに神社の水田で、ここから穫れた米を物や金や労働力と交換して神社の祭礼などを運営した。

・村社…明治時代に制定の神社社格の一つ。1871年(明治4)5月、政府は太政官(だじょうかん)布告で神社規則等を制し、官社以外を諸社とし、それを府社・藩社・県社・郷社とした。同年7月の廃藩後改めて、府県社・郷社・村社・無格社とし、一地方の氏神として仰がれる社を村社とした。1945年(昭和20)この制度廃止当時、全国約11万社のうち村社数は4万4934社であった。(日本大百科全書ニッポニカより)

・倉稲魂命(うかのみたまのおおかみ)…スサノオノミコトの子で、穀物をつかさどる神。伏見稲荷大社の主祭神で、「お稲荷さん」として広く信仰されている。

・天日鷲宮(あめのひわしのみこと)…天日鷲神は一般にお酉様として知られ、豊漁、商工業繁栄、開運、開拓、殖産の守護神として信仰されている。

・奉祀…神をまつること

 この由緒沿革のとおりならば、平安時代の939年、香取神宮から経津主命を分けてもらってこの地にまつった。それから270年くらい経って、神社は荒れ果てていたのか、社殿が傷んでいたのかわからないが、宍戸家政がこの神社に願い事をしてご利益があったので、社殿を建て直して神田を寄進した。それからずっと歴史は下って明治6年、太政官布告で神社規則ができたのを機に「村社」とし、村内にあった倉稲魂命と天日鷲神も一緒に祀った、ということになります。この由緒沿革の情報が一次史料(その時代に書かれた文書類)を基にしたものならば、史実ということになるのでしょうが、全国に無数にある「村社」がその時代に書かれた文書を継承しているということはまず難しいです。よって、「そう言い伝えられている」としか言いようがありません。

 (由緒沿革のとおりとして)最初に経津主命を祀ったのは地元の豪族でしょうか。939年は平将門の乱があった年で、各地で武士が成長していたころです。そんな武士の1人が、香取神宮から分霊した戦いの神に武運を祈ったのでしょう。

 父、八田知家からこの地を任された宍戸家政も大事な戦いの前に武運を祈ったのでしょう。家政は1213年、和田合戦でわずか25歳で討ち死にしています。10代で神社を建て直したりするだろうか、と考えると、だいたい1208〜1213年くらいに香取神社の社殿を再興したのではないかと推測されます。

 それにしても、村社となってからは武の神に加えて豊作の神、豊漁、商工業繁栄、開運の神まで同居するようになったので、この南友部の香取神社は最強ですね。

 

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